醜悪な念

何でこんなきついこと言わなきゃいけないんだろ。
仕事中、そう思いながら度々涙が出ることがある。



ある復縁希望の恋愛のご相談で、彼側に「土のスタリオン」というカードが逆位置で出た。
健康面の不和(特に腰痛や肩こりなど関節)という意味の暗示を含んでいるタロットだ。



「お相手が体調不良でSOSのお声かけがあるかもしれないので、その場合はケアしてあげて下さいね。」と私。
依頼者は「そうなんですか!彼が体壊せばいいんですね!じゃあ彼がそうなるように毎晩念じます!!」



・・・



当然私は
「他人の不幸を念じるような不安定な人に、あなたなら頼れますか?」
「もし彼があなたに対して同じことを言ったら、どう思いますか?」
トドメは
「彼の立場で、今の自分と復縁したいと思いますか?」



依頼者
「(声を詰まらせながら)思いません・・・」



・・・泣かせてしまいました。



人として言ってはいけないことがあると思う。
お代をいただいていなければ、もう少し緩い表現をしたけどそうではないから。
更に「愛する人の不幸を念じるなんて、それは本当の愛じゃないです。」まで付け加えました。



ほんと、占い(霊感・スピリチュアル含む)にも宗教にも自己啓発セミナーにも
依存はして欲しくないし、させない。
その人の元来の才や可能性が壊されてしまうから・・・。



依存するのも執着するのも、それなりの根本要因がある。
時にそれは狂心であったり病理であったり、様々だ。
何度も記していることだが、弱みにつけこんで私利私欲の為に依存者を作る、金儲けのプロもむごいことに多く存在する世の中だ。



近年のいじめなどでは直ぐに「死ね」等と、短絡的な言葉を吐き捨てる人が増えているという。
言うのは簡単だ。
たった二文字に籠める醜悪な念。
ボキャブラリーの無さ=知性の欠如を露呈しているに過ぎない。
上記の件は、それと同種のものだ。



こうした言葉を吐き出さなければ居られない程の正当な理由があるならば、それを知性に基づいて語り、向き合うべきなのではないか?
相手と、もしくは己と。
正当な理由があるならば、敢えて知性の欠如と不注意を露呈させる必要は無い。
最低限、その理由を付け加える表現もした方が良い。



全ては因果応報で必然である。
誰かが誰かに醜悪な念を投げつけずとも、人は皆それぞれの必然的タイミングで老い、朽ち果てて行く。
例外なく、いつか必ず朽ち果てる。
だから「死ね」だとか「●●さんが体壊しますように」「あの人が不幸になりますように」と念じる必要は一切無い。
ただ地に足をつける意識をしながら、現実を見ていればいい。感じていればいい。



人は多くの感情を持ち合わせて生きている。
私自身、消えて欲しいと思う輩は居る。
‘私の生きる現実の時間’から、記憶の中から。
でも仮にあの魔物が、同種の輩が、それに壊されて怪物に変わり果てた人が消えたところで、‘在った事実’は決して消えない。
体感も残る。



むしろ逆の視点で言うならば、自分を含め全てのものが消えて行くのだ。
だから、醜悪な念は持たなくていい。
因果応報であり必然なのだから。






※今日の日記はある日のメモから抜粋、編集しました。