列車

その列車に乗ると、いつも深い樹の香りがした。
見たこともないような木造作りの車体に、時々きしんだ音を出す銀の車輪。



私は陶酔するように誘われながら、重たい荷物を抱えて乗り込んだ。
両手には大きな鞄、持ちきれないお土産を足元に置いて。
背負っていたのは現実という名の岩・・・



窓に映るのは何人かの隠者と、旅を笑顔で楽しむ人たち。
列車は誇らしげに・・・その役割を遂行しているように走った。
その速度は不安定がちだったけれど、車輪は輝いていた。
雪が降り始めた日などは、そっと風景を慈しむようにと、臨時停車したり・・・



でもある時、私はその列車を降りた。
確信を持って。
銀の車輪が錆びた音を立て始めた日から、そう促されていたようにも思う。
「もう降りて」と。
迷いはなかった。
列車の走行は日毎にその速度を上げ、窓を開けても灰色の風が吹き込む。
天井を見上げると、電灯は消えかかるように点滅を始めていた。



ある駅で途中下車をした。
手持ちの切符に行き先の表記はなく、乗り継ぎの電車の時刻表すらない。
足元のお土産だけを車両に置いて、両手の鞄と錘のような岩だけ手放さずに。
数分して列車は動き出した。
その先に渦を巻いた線路が見えていたように思う。
きっと険しい線路・・・
空には怪しい光を放つ太陽が。



私が選んだ線路には電車が到着する気配はない。
歩こう。
誰と顔を合わせることも無い。
旅人たちのざわめきに、うたた寝を妨げられることもない、本当の1人旅。
その線路には真っ黒な石ころが敷き詰められ、大地の土もまた・・・ひび割れ、乾いていた。
野宿は少し怖いけれど、あくまでも‘ほんの少し’だけだ。



でも私は知っていた。
黒い石ころ。
その色の中には、白さえも含まれている。
黒いのは、闇に染まっているのは、表面なのだ。
絵の具のパレットに全ての色を混ぜ合わせたら、黒色が出来上がる。
全ての色が統合し、全ての色が含まれ、全ての色を受け止める。
その結果、初めて出来上がる色。
それが‘黒’だ。
逆にそれらを全て解放すると、透明な光が浮かび上がる。
その強い灯りを‘黒’は閉じ込めている。
必然的に。
表面だけを見て、‘黒’としか捉えられないのは愚行なのである。



黒く統合された根本要因に向き合うべく、私は列車に乗っていた。
そして微かな透明な灯りを見出したのだ。
たぶん、それだけの目的で列車に乗り、1つの目的を手にした時、乗り換えを確信させられた。



ひび割れ、乾いた大地にも雨が降れば、また新たな風景が生まれる。
冷たく澄んだ空気に、大地も空も洗われて・・・
そこで完全なる融合が起こる。
銀の車輪の音は、私にそれを教えたのだろう。



私が歩いている線路からは、もうあの車輪の音は聴こえない。
頬に触れる風に、色は無い。



列車は走り続ける。
ごく数人の隠者と、大勢の旅人たちをしっかりと乗せて、降ろさぬように・・・



もう決して見ることも乗ることもない列車。
でもそれは、私自身が信念を持って決めた選択だ。
黒い石ころの内に透明な灯りを見出せたからこそ、できた選択。



電灯は消える(壊れる)直前に、1度強く輝く。