今日も

全身全霊で彼と向き合えた。
ねんねの時間を過ぎ、静かな寝息を彼が立て始めると、「ああ1日の役割がひとまず終わったなあ」と息をつく。
笑ったり転がったり泣いたり食べたり・・・
彼は裏表なく素のままを、私に見せてくれる。
惜しみなく。
悔いのないように毎日を過ごす。
大切に。




時として私などに「親子の縁を切るから」等と宣言する人がいる。
そうなのか・・・
それについて私に何を言えと?
でもね、口で言うのは簡単。
本当に切る気があるならば、他人の私にわざわざ宣言などせず行動に移すものだ。
実際、私はそうして生きてきた。
好きにすればいいという意味合いの言葉を言えばいいのか。
やめた方が・・・と止めることを求められているのか。
あえてそれを解ろうとはしていない。
どれだけの思いで私がここに在るか、その人もまた解らないだろう。
共感し合えないものが基盤となっている。
そういう必然だからだ。




私は相変わらず媚びるのも媚びられるのも大嫌いで、それを上から指示するような真似をされると虫唾が走る。
悪気が無い=自覚していないということは、ある意味では最も酷いことのように思う。




人は窮地に立たされた時ほど、もしくは歓喜を体感している時ほど、深部の本質を現す。
それを見た側は、決してそれを忘れることはない。
フォローが効かないこともある、ということだ。




私は可能な限り、贈られた役割を果たす。
ただそれだけだ。