1C-5-18

ただ、受け止めてみた。
意識的にそうせずに、自然にそれができた。
そういう立場にしか居ないし、その役割でしかないから。
ただ受け止めてみた。
あなたがそこに居たから。




リズムが改善されていても、指は昔よりもぎりぎり動いていても、その音はもう…1音すらも、うたわなかった。
うたえなかった?
いや、意志として、もう『うたわない』ようにしたのだと感じた。
ぎりぎりをこなすことに集中して・・・体力も精神力もぎりぎりのところで。
親になるというのは、たぶんそういうことだと分かる。




元来から、演奏家としては表現者ではなく自我主張をする人。
書き手としてのあなたと、演奏家としてのあなたは温度差があった。
(良い悪いでなく。)
いずれにしても気力も体力もある程度キープしていなければ、うたうのは難しい。




数年前の私なら、少し心配したり、少し涙が出たかもしれない。
でも揺さぶられることはもう一切なかった。
濁りや息苦しさを隠せない閉塞感がこぼれ落ちる音色に、慣れもあるのだろうか。




そして、今なら多少は解るから。
生きるか死ぬか位の覚悟で選び、行き着いた位置で、とにかく在る立場を真摯にこなしていることが。
それしか術が無いことが。
きっと大変であろうことが。




あんなに虚無感を称え、やつれ、宙に浮くように笑って煽ってみせて…
繰り返し、繰り返し。
それでもやっぱりぎりぎり真摯にこなせるのは、本能の賜物なのかもしれない。




昔、何が欲しかったの?
あの土壌を踏み付けて、どこに行きたかったの?
全て手に入れたのだとばかり思っていたけれど、違ってた?
あなたの木にはたくさんの実が付いていたはずなのに。
祝福されているでしょう…?




10年前の5月、あなたがくれた土壌の意味が今やっと解っている。たぶん。
だから私はスフィンクスくんと2人でその上に立ち続けて行く。
そして機会が合うならば、また受け止めるかもしれない。