占い師として思うこと

占い師として思うことを久し振りに書いてみようと思います。




今時のブームも一時の酷さに比べたら、最近は少し落ち着いて来たのかなと感じる今日この頃。
それでも、そのブームが残している爪痕は本当に大きく深刻なのだと実感せずにはいられない。



霊視が〜霊感が〜透視が〜チャネリングが〜宇宙エネルギーが〜神様が〜等という、ある種の能力を誇示して(その能力差はピンキリ。嘘の場合も含まれる)、弱者を支配する輩。
そして自ら望んで、それに傾倒し依存して行く方々の心の闇と病み。
不思議なもので、こういうものに対してお金を投下すればするほど、人は元来より己が持ち合わせた才や可能性を鈍らせてしまう。
「これだけお金を払っているのだから」
「●●先生は●●の能力を持っているのだから、何とかしてくれる」
等というように他力本願になり、己を奮い立たせて現実と闘おうとする意志までもを、大金と共に投下してしまうのである。



何故だか私がセッションでご縁を戴く方は、この手の被害に遭い(もしくは溺れきり)、最後の砦とでも言わんばかりに御依頼下さるケースの比率が半端なく多い。
例えば「●●先生の透視カウンセリングで、●●と言われて・・・でも事態は改善されるばかりか、つじつまが合わないので・・・」
こういう形で、私に御依頼のお声をかけて下さる場合。
既に、散々●●先生という人に大金投下をした挙句に、現実把握が全くできない位に混乱させられてしまっている。



もちろん、こうした霊的能力を否定するわけではない。
プロと称する中にも、先に書いたようにピンキリの能力差+人間性は全く別問題だということ。
先ず言える事は、本当にまっとうな能力があり、それを弁えているプロほど大金を取らないし依存はさせない。
言葉では何とでも言える。
プロフィール等でも綺麗事を書いたり、崇高さを演じるのは簡単なことなのだ。
特に、依存しきってしまった方々を対象にする場では。
1つの相談内容に対し、非現実的な気休めを言いながら何度も堂々巡りをさせる時点で(もしくは霊感商法等へ勧誘〜販売する時点で)売上収入的な部分に傾倒した商売人(金儲け)としてのプロである。
つまりは、セッションワーカーとしては‘自称’プロでしかないと言える。
残念ながら、今のご時世ではこの‘自称’プロの比率の方が圧倒的に多いであろう。
本当に悲しい現実だと、心底感じる。



だが、既にこれに深刻に依存してしまった人ほど、耳障りの良い事だけを言われることを求める。
その為に、根拠に基づきつつ依存させないようにセッションする私に対し、言葉尻の揚げ足だけを取って「当たっているけどきつい。生きる気力を失った」等という意味の言葉を放たれるケースもある。
上に書いたようなケースの被害に遭った人でも、だ。
だが実際は本当に死を選ぶ人というのは、こうした宣言をするよりも先に実行に移してしまう場合が圧倒的に多い。
(のわ個人の経験や、現実的に見た風景からの認識)
つまりは依存させない私への抗議である。
そして、依存から脱却せずに負のループへ戻って行く・・・。
もちろん、その人の気質傾向や必然的時期を見つつ、苦難の現実であってもいかにすれば歓喜の流れへと転じて行けるのかまでを必ずお伝えする。
でなければ占う意味が無い。
でも結局は、心を自立させて才や可能性を活かす事より、転んだまんま(もしくは転ばされたまんま)地べたで泣き喚きながら、その場しのぎのバンソコを貼ってもらうことだけを望んでいるのかもしれない・・・と胸が傷むことも度々起こる。



のわは、どんな場であっても(口コミのご紹介〜当ブログでも、委託元さん経由であっても)、占い師である前に人として、貴重な時間と御代を使わせながらご縁を戴いた方々を支配するような真似は出来ない。



それはプライベートでも仕事でも、そうして支配されてしまった方々の深刻な顛末を、現実的に山ほど見てきたからだ。
人として絶対にしてはいけないことである。



占いをするということは、相談御依頼者様にとっては、情報〜地図を買うようなものだ。
様々な占術理論や霊的観点などから、ご相談内容〜お悩みに対して、どのタイミングで何をすると歓喜の流れへと転じて行けるのかという。
貴重な時間とお代を使われるのだからこそ、地に足をつけて上手く己の中に取り入れつつ【活用】していただけることが1番。
それに気付ける事によって可能性は開かれるし、思いがけない己の才を発見できたりもする。
その兆しや結果によって、元気になったり癒されたりする。
そういうきっかけ(占術などによる情報〜地図やリラックスをお渡しする)を作り出すのが占い師の役割。
(そういう姿勢で私たちはセッションするべきで、最初から「救います〜癒します」的な発想は己への過信に通じる。)



占い〜霊感〜宗教系〜自己啓発セミナー等に依存し、苦しんでいる方々へ。
大金や己の誇りを投下してまで、それをやらなくても大丈夫なんです。
全ては常に表裏一体、才と弱点を同時に共存させながら在るのだから。
そして、どんな苦難でも無駄も偶然も何一つ無く、全ては必然です。
そこが整う時、必ず可能性も才も拡大されるはず。
昨日より今日、今日より明日、元気な笑顔でありますように^^



※ここに書いた文は現実に基づいたものですが、個人情報に関わる部分は承諾を得て〜もしくは表現を変えて記しています。