寝ぼけた事を

何を寝ぼけたこと言っているのか。



今時の(一部の)愚かな母親たちに対して思うこと。
小さな子供(赤ちゃんも含む)が居ながら、己の色欲に陶酔し不倫にふける愚行。
占いセッションの役割の場で、最近このような人物の相談が続いている。



時にその母親たちは、その愚行を「子育ての息抜き」と言い、「家庭を壊す気は無いが、彼には愛されたい」等とのたまう。
我が子を愛せない、いやそれ以前に母としての責務へ認識が甘い稚拙な女性を、どこの能天気な男性が本気で愛するというのか。
愚かな者同士が互いに都合のいいところだけで、色欲に溺れているだけだと自覚すべきである。



小さな赤ちゃんを小脇に抱え、セッション中に泣かせっぱなしの母親も少なくない。
そうしたことが起きる時、もちろん私はお子さんのケアをしてもらえるように、セッションの中断を申し出る。
が、「ダンナが帰ってくると話せないから気にしないで下さい」と、とことん脱力するようなことを言う。
「なかなか良いことを言ってくれる占い師さんがいないから、満足行くまであちこちに相談依頼しちゃって・・・お金が無いんですよね」
息抜きという名の自身の色欲を正当化し、散財する馬鹿さ加減。
良いこと=耳障りの良い幻想話を聞きたいが為に散財するなら、お子さんの為にお金も時間も、何と言っても心も割いてあげるべきではないのか?



私は絶対に占いに依存はさせない。
それはこれまでも度々ここにも書いていることだが、占いとは生きやすくする為の活用術〜情報であり、れっきとした理論である。
自立心を基盤に、そこから得たヒントを活かし前進しようとする意志があってこそ、活きるものである。
依存させるということは、意図せぬところで占う側(私たちセッションワーカー側)が支配者に成り下がることも意味している。
役割を超えては絶対にならないのだ。



耳障りの良いことを言うのは簡単だ。
占い師はセッションに必要なデータを解析し、御依頼者様の気質〜傾向や運勢基盤、願いなどを総体的に認識した上で、ご相談内容についてセッションを行う。
その時点で、どういう伝え方をすれば御依頼者様のヒントになり、プラスになるのか。
逆にどのような表現をすると御依頼者様を一喜一憂させ、より依存的にさせてしまうかをある程度は把握している。
(が、それを逆手にする金儲け感覚の支配者的‘自称占い師’人口も少なくない現実がある。)
気休め〜幻想物語を伝え、その場しのぎに依存させることなど、ある意味では簡単ということである。
だからこそ、支配者に成り下がらぬよう役割意識として、己を律さなければならない。



何故ならば、占い師〜セッションワーカーが提供しているのは、人生の保証書でもなければ魔法でもない。
人やものに対して極端に依存度を強めているかたのご相談内容に関して24時間体制で守り、保障することも物理的に不可能だからだ。



物事は瞬間規模で変化して行く。
変わらぬものなど何1つないし、偶然も存在しない。
人が変えられないのは自然現象的な環境と、自分以外の他を変えることである。
まず己の視点を変え、そこから発見できたことを基盤に行動と感情のパターンを変えてみる。
その結果、‘1番最後に’状況や相手の反応が変わって行く。



話を元に戻すが、色欲に陶酔し溺れ、それを「息抜き」等と正当化しているうちは、何も変わらない。
周りが何を言っても、本人が変えようという意識が希薄なのだから。
諭すだけ余計に感情を高ぶらせるだけで逆効果である。
「不倫にかまけている間、占い依存と散財が止まらないとお察ししますので、くれぐれも気をつけて下さい。」
私はここまでを御依頼者ご本人様へハッキリとお伝えする。



(こういう場合、時に「霊能者の●●先生に‘また’縁結びのご祈祷してもらうからいいです!」と逆ギレされたりもするが、完全にカモられているにも関わらず、気付けない哀れさが余韻として残る。
1度そのご祈祷やらに大金を使い、それでも尚どうにもならないから私を訪ねて来ている事実はどこへ行くのか?)



拝見できる流れも含めて、そのかたの持つ業など全てお話した上で、「因果応報であるから自己責任の覚悟の上で」とお伝えする。
善いことも悪いことも、行き着くところまで行かなければ、終われないものだからだ。



※ここに書いた文は現実に基づいたものですが、個人情報に関わる部分は承諾を得て〜もしくは表現を一部変えて記しています。