個を尊重するということ。

http://mainichi.jp/select/today/news/20100320k0000m040137000c.html

http://www.news24.jp/articles/2010/03/31/07156418.html

http://www.news24.jp/articles/2010/04/01/07156524.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100410-00000035-mai-soci



来る日も来る日も侵略されて息絶える子供たちのニュースばかり。
これらのニュースを目にする度に、加筆して編集して文章作成
していたけれどキリがない…



今の時刻、4月15日の深夜1時過ぎ。
また新しいニュースを目にした。



大阪府堺市の母子家庭、一歳半の赤ちゃん。
顔に痣があったにも関わらず『緊急性はない』と児童相談所は判断したという。



意味が判らない。
何を見ているのか?
むごい惨状から目を背けたかったのか?
何故どうして耳を傾けない?見て見ぬフリをする?
役割放棄ではないのか?



悪運だけは強い私。
かつて生き延びてしまったことを悔いた。



虐待被害経験者は時に偏見で見られるということを、この数ヶ月で
改めて学んだ。



自分の身ひとつならば飛び降りたい願望が沸いても、今は違う。
それは【子の個を尊重すべきであり、また、そういう人で在りたい】という
渇望を放棄することになる。
万が一、飛び降りるなら身ひとつでやり遂げなければ侵略者(支配者も同種)に
成り下がるのだから。
私は誰よりもそれを知っている。



救いたいとか味方になりたいとか口先で言う〜形式で役割に就くのは簡単だ。
でも本質は必ず露呈するのだ。
有言不実行かただの二枚舌か。



私は。
私に近寄る親という肩書を持つ類に対し、信頼感が極端に希薄である。
そうした肩書の奥底に、差こそあれ見え隠れするエゴイズムと偽善的な空気に
アレルギー反応が出てしまう。



そこからの脱却と解毒を、逆行中の土星が現している。
そして新たな大きな出会いを迎えるのだろう。



かつて渇望し続けた正気と尊重。
それを遂行する為に。