判ったこと、分からないこと、解るべきこと

彼との出会いから1ヶ月が経とうとしている。
この必然の対面が私に示したこと。



先月から今日現在も、引き続きむごいニュースが当たり前のように流され続け、やはり相変わらずの風潮に絶望しながらも判ったことがある。
「泣き止まないから」と床に我が子を叩きつける母親。
職権乱用でパートナーのお腹の子を流産させるような投薬をした男性医師。
(この医師に対して、私見で‘人間のクズ’の部類であると感じる。)
権力誇示による支配、虐待(虐殺)・・・



判る=判断する(できる)。



昨夏、彼との出会いの兆候に気付き、私は今までにない恐怖を体感し、うろたえていた。
この出会いを迎えたら、私は己の因縁から引き継いだ業により、むごい風潮に流されて最も憎むべき過ちを彼に犯すのではないかと。
いや、当時まだ‘彼’なのか判らず‘彼女’だったとしたら、私と同種の地獄を背負わせかねないと。
そして何より、全く思いがけないことであると同時に、当初の私はある計画をしていた。



ある知人は言った。
「こんな嫌な世の中に子供を産み落とすなんて、愛情がない人間がやること。
女性というのは本能で‘自分の毒を出したいから’出産しようと考える。
まして、あなた(のわ)の業を自覚しているなら堕胎すべき。
私も過去に8回妊娠したが、子供への愛情と責任があるから全て堕胎した。
あなたもそうすべきだ」と・・・
この知人の言う事は一理ある。
己の業を自覚しているなら、という部分だ。
言われずとも誰よりも私自身が認識していることである。
が、【堕胎すること=子への愛情〜責任である】という理屈には強い違和感をおぼえた。
しかも8回もそれを遂行し、それを正論として他(この場合は私)に強いるのはどうなのか・・・



分からない=分かち合えない(共感できない)。



一理ある部分とある計画の絡みで、迷いを払拭しきれなかったのは否定できない。
時間ギリギリまで迷い、考えた。
でも私はこの知人の言葉で、逆に決断する1つのきっかけを得たようにも思う。



かつて私自身が渇望した、正気と真の優しさ。
こんな私のもとに敢えて降りてきた‘彼’に、最低限それだけは注げる人で在ろう。
そう決めて迎えた彼との出会いだ。



未知なる体験を与えてくれた彼との日々は、想像もしなかった己の在り方を判らせ、また、因縁を分からなくても良いことを示してくれている。
【この出会いを迎えたら、私は己の因縁から引き継いだ業により、むごい風潮に流されて、最も憎むべき過ちを彼に犯すのではないかと。】
これは検討違いの私的思考だったのだ。
つまり己に対する判断ミスということ。
彼と向き合う時間の中で、とてもじゃないが彼に対して過ちを犯すという発想が湧かない。
そういう私が居る。
因縁から体感した現実を、巡って彼に・・・ということは起こり得ない。



むごい風潮の主人公たち(支配者、虐殺者)との【分かち合い】は無い。
事実(経験、日々のご縁で出会う同種の経験をした方々の件、ニュース)として起きていることは判る。
が、全く分からないのだ。



最も共感したサバイバーであり芸術家のマイケル・ジャクソンが、生前のあるインタビューで語っていた。
「虐待された人が、大人になったら我が子にも虐待すると言うけれど、それは違う。
そんなことをするくらいなら僕は自分の手首を切る。」と。
確か以前にもここノワールド書いたと記憶しているが、これを聞いた時に何とも言えない気持ちになった。
何故なら、MJが言うような人間ばかりではないことを自他共に知っているから。
少なくとも私自身にとっては理想論にも思え、己に置き換えると強い恐れを感じた。
実際に大きく2つに分かれるからだ。
支配〜侵略を経験した人間が支配者になる。
逆に、支配〜侵略を経験したからこそ、そうした人間にはなるまいと決意する。
MJは当然のことながら後者であり、それは歌声にも遺した作品にも生き様にも完全に現れている。
今こうして彼との出会いを迎え、MJが語った言葉と思いを【分かり、解るように】なった。



解る=理解する(できる)。



ただ、どんなに分からなくても事実を【判り、解るべき絶対的な必要性】を逆に今まで以上に感じている。
そうでなければ私は、♪ノワールド の黒(全てを吸収した色)=現実を完全に受け止めることが不可能で、その先にある世界(悲願成就、融合)を手にすることはもっともっと不可能だからだ。



‘彼’が泣く時、私は己の理解力の乏しさに失望する。
役に立てない力不足を心底情けなく申し訳なく思う。
ただそれだけだ。



いい大人の年齢の私でも思わず「痛い!」と口走った、手の甲の注射。
でも彼は泣かなかった。
静かに痛みに耐え、受け止めていた。
そういう彼の強さを分かち合いたい。理解したい。
           
小さな手に貼られた絆創膏は、彼の強さの証の1つだ。



血縁という事実を過信せず驕らず、‘彼’に敬意を払う。
むごい風潮に、因縁と業に、決して流されないために。