傷む体と心で・・・よく。
四方八方に暗雲のように拡がる不安と自己主張。
ギリギリのところで保たれる生命力。
それらを他の力も借りてでないと、既にもう出し切ることすらできないほど傷んでいる。
だからこそ恐れている。




行き着くところまで行かないと終われない。
少なくともそれに気付くまでは、自ら自己操縦しようとはトライできない。
治癒を思いつけない。
機が熟すということ。
私自身がそうだったのはよく知っての通り。
これでもかと己を傷めつけ、終いには心身がバラバラに陶酔するほど正気の沙汰じゃなかった。
それをただ静観してくれた唯一の人。
だから私も否定しない。
そして私も肯定はできない。
もちろん、その乱気流のような渦に加担しない。
音を立てて崩壊して行く様に、無理やり足をつっこまない。
そうする場におらず、必要も権利もなく、そうすべきではない。
全ては己の選択。
完全に壊れなければ(壊さなければ)、新たな世界=土壌の上には立てない。
それを全身全霊かけて示してくれたのは、他ならないあなただ。
だからこそ、ギリギリのところででも私はここに立てている。
この‘土壌’に。
そして、あなたはやはり全身全霊かけて選んで行った。
8年前あなたは生きるか死ぬか位の心持ちで選んでいた。
私なりにそれを知っていた。
その宣言を受け止めたつもりでいた。
表面ばかりに囚われた愚かな当時の私が気付けなかったのは、その裏側に隠された愛にも似た要素だ。




私はこの土壌がひび割れないよう、持ち堪え続ける。
あなたが全身全霊かけて創造してくれた土壌の上に。
そうすることで今後も敬意に代えていく。
私のままで在りながら、この環境で在りながらできる唯一の方法だ。
そういう必然なのだ。