悲しいけれど素敵な言葉

先日の注意書き日記から、O・Bさんというかたから戴いたメッセージ。
不覚にも号泣してしまいました^^;。
むちゃくちゃ現実的で救いの無い言葉でした。悲しいくらい。でも素敵だなとも感じました。



「嵐で濁り荒れた大河に、綺麗な水をコップで注いでも、荒れた水の流れは簡単に修まり透き通ることはありません」  
「コップで水を注ぎ続けた人が倒れ、飲み込まれてしまう事もあるかもしれません」
「それを感じた時、時には行動をやめ見守る勇気が必要なことだってあるかと思います」
BY、O・Bさん


すんごい正論だなと思いました。と同時に、言葉は違えど常日頃から鑑定時に私がお客様にお話する内容と変わりないことを言ってもらいました^^;。


こうしてる間も、世界中のあちこちで、虐待されている子供がいる。性暴力に巻き込まれている人がいる。それを持ち堪えても行き先が見えなくて苦しんでいる人がいる。更にそんな人たちを罠にかけようと企む輩がいる。
なんで?どうして?私利私欲の為にそんなむごいことを?
納得できない。


でもね本当にO・Bさんの言う通りなんですよ。今の世の風潮は正に荒れて濁った河。知らぬが仏で皆その濁流に飲まれて日々を過ごしている。どんな正論を訴えても届きはしない。
届けるために何をしてもいいのかというと、それも間違い。


見守るって何でしょう。目の前に虐待されている子供が居ても、それを‘見守る’のは放置にならないの・・・?
狂気に巻き込まれて乱暴されてる人を見過ごすの・・・?


実際に深夜の居酒屋で、親から虐待されているであろう子供と鉢合わせたことがありました。たぶんノワールドに書いた気がします。(あるいは裏かもしれないけど)
私は何も出来ませんでした。100%虐待児って判っても、それでも何も。放置しました。見過ごしました。地獄から抜け出す鍵もサポートも何も。知らぬが仏じゃない。私の場合、知っても仏で最低最悪だと思う。白状もいいとこ。
あの子たち連れて帰りたかった・・・。


だけど結局、濁流に流されている。私だけ安全で居るなんて。見守るって。


解ってますよ、持ち堪える才能が有る人にしか地獄は起きない。


自分さえ良ければいい。お金儲けできるならいい。そんな世の風潮はいつ終わるんでしょう。


こうして在ることに感謝しています。私自身だけの事を考えれば。出逢いたい人・出逢うべく人には全て出逢って来た。
「31年生きて来て、今が1番穏やかなの^^」私が言うと、「良かった〜^^!!」そう喜んでくれるお友達がたくさん居る。
いつも「ありがとう」と言い合える戦友が居て、たくさんのことを教えてくれる仲間も居て、手を引いて連れ出し、背を押してくれる恩師にも出逢えた。しかも2人も。幸せでいることが友人への恩返しだと信じているけど・・・
でも自分だけが守られてて幸せであればそれでいいのか?いつもわからなくなります。