子の手を取る母親

木曜日の朝、某駅の雑踏で素敵な親子を見かけました^^



私は人混みが大嫌いで、電車も苦手Σ(|||▽||| )
さっさと人が少ない場所へ向かいたい〜っと足早にホームをぽてぽて歩いておりました。
(足早なのにぽてぽてってどうなんでしょうか?)



ちょうどエレベーターが来て、ベビーカーを引いた若いお母さんと一緒になりました。
チビちゃんが見たかったの(^▽^)
そしたら少し離れた場所から小さい子供の泣き声・・・
あれ以来どうしても子供の泣き声に過敏に反応してしまい、それだけで動悸がしてしまう。
なんでこんなにヤワなのか情けないε- ( ̄、 ̄A) フゥー



すると隣に居た若いお母さん、「何やってるの!おいで!」とその坊やを呼びました。
4歳くらいの男の子です。人混みに紛れてお母さんとはぐれてしまったんでしょう。
細腕でベビーカー押して、坊やの手を同時に繋いで上げるのは難しいものね・・・
一生懸命駆けて来て、エレベーターに乗ったんですが、しゃくりあげてて全然泣きやまない。
お願いだから怒ったり叩いたりしないで。
私まで緊張していると若いお母さんは・・・



「ここでは(エレベーター内)では泣かないの。降りてから。」



そう言って坊やの手を取りました。



ぴたっと泣き止む坊や。
「ほら、大丈夫でしょ」と若いお母さんが笑うと、涙ぽろぽろこぼしながら頷いていました。
私も肩の力がスッと抜け、涙が出そうになった。
(マスカラ落ちて紫の跡が付くので、塗装中は我慢)



子供は親の‘温かい手’が欲しい。
そういう安心が欲しいのです。



私はこの若いお母さんの言葉に深い思いやりと器を感じました。
泣くのを止めるのは、あくまでエレベーター内でのこと。
同乗する人たちへの配慮と同時に、ただ「うるさい」としか捉える事ができない人の冷淡な目線から我が子を守るため。
‘降りてから’という言葉にもまた、坊やへの愛情がたくさん含まれています。
泣き足りなかったら降りてから泣いていいよと、子供の気持ちを全部受け止めようとする意志から発された言葉。



公共の場で子供が泣いていて、親が叩いたり怒鳴って泣き止ませようとする場面はよく目にする光景ですが、あれは火に油みたいなもので逆効果。
子供は言葉の意味が解らない場面でも、親の気持ちであったり状態であったりは敏感に感じ取っていることが多い。
怒鳴る、叩く。ある意味簡単な、勢いと腕力があれば出来る事。
でもこの若いお母さんが坊やにして見せたようなやり方だってある



自分は親。相手は子供。
そうした物理的側面でなく、お互いに‘個人’として対等に向き合い認め合おうとする姿勢があれば、物事や相手の本質がちゃんと見えてくる。



子育てって若さとかが問題じゃなくて、その人柄がいかに物事の本質を見つめ実践しているかで変わるんだなって痛感しました。



つい先日も宗教がらんだことで崩壊された人が起こした殺人事件や、欲と狂気に溺れた霊感商法詐欺のニュースが流れていましたけど・・・
(あの手の輩は本当に応用が無い。
あまりにワンパターンな頭の悪さに脱力しちゃいます。
なんで‘神’とか‘教え’のもとであることを言い訳に何をやってもいいと思うのか、毎度ハラワタ煮えくり返るわ(#`-_ゝ-)ピキ)



それでも世の中まだ捨てたもんじゃないんだって。
この若いお母さんと坊やに教えてもらいました。
嬉しかった(*´∇`*)