被害に遭われたかたの気持ち

下記の事件について・・・やはり考えています。



http://www.jiji.com/jc/zc?k=200802/2008022200447&rel=y&g=soc
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080301-00000049-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080301-00000083-jij-pol



まず被害当事者の女の子、そのご親族や関係者の皆様に心からお見舞い申し上げます。



例によりハラワタが煮えくり返る気持ちで、いや、こんな言葉で表せない絶望感と激しい憤りの中でこのニュースを見ていました。
中学生を含む‘子供’が巻き込まれるケースの事件ほど、私は悔しさと無念さに共感せずにはいられなくなる。
その瞬間の恐怖心、絶望と落胆、己の無力さ・・・



こうして訴え出ることにどれだけの勇気とエネルギーが必要だったのか。
被害から間もない時期に自身の鮮明すぎるほどの記憶と感覚を掘り下げて、第三者(関係者、警察等)に言葉を発する。
並大抵のことではないはずだ。
たとえ告訴を取り下げることを選んだ今でも、その‘闘おうとした意志’に、その精神力の強さに心から敬意を感じます。
そうした意志を持ち合わせていらっしゃる事実そのものが本当に大切で、重要なことなんだと個人的には思う。
性暴力・虐待の被害というのは、何故か被害当事者の方に非があると罵倒されたり、放置されたり、また闘いたくても闘えないケースの方がむしろ多いだろう。
いつも私はここに矛盾と葛藤を感じて考える。
「何故、隠して隠れて逃げながら生きることを強いられるのか」と。
※「逃げる」は解釈の視点の1つとして書いています。
様々な事情や状況から告訴できなかったり、加害者が何事も無かったかのように普通の生活を現実でしている場合、再び暴力が行われるのではと恐怖を感じながら身を守り(身を隠し)被害者が生きることとして・・・の意味です。



ニュースでも書かれているけれど親告罪というのは本当に難しい。



駄目だ。フラットな感情で今これ以上書けない。
続きは後日また追記すると思います。



追伸
裏ノワは別URLに移し、新たに編集中です。
ある方面の内容だけは実名を挙げて事実を書き直しているため、再開の際はパスワード制にして公開を限定します。
現実的に私が信頼関係を作っているご縁のある方々にのみ公開するつもりです。
それでも必要な事柄に関しては引用して、ここ‘ノワールド’に記載することも今後あるかもしれません。
いつもありがとうございますm(−−)m