苦悩も歓喜も

泣きたくなる。
昨夜もほぼ八つ当たりのように泣いた。
月が魚座に配置、私の太陽と凶角の180度。
情緒不安定になりやすい座相ではある。




昨日はひとまず2つのことを終えた。
もっとスッキリするかと考えていた。
でも、実際は何とも言えぬ惨めさだった。
これまでの私の時間は一体何だったのだろう。
長かったのか短かったのかは今ひとつ判らない。
だが、虚しかった。
どこかで買い物をしたりしてお金を払えば、「ありがとうございました」という接客用語が返ってくる。
心のこもった「ありがとう」か、ただ用語として発される言葉なのかは、その発し手による。
でも私が抱えざるを得なかったそれに対しては、誰も何も言わない。
そして、もちろん何のご利益もない。
当然だ。
そこに居たのは神でも何でも無く、ただの悪魔だったからだ。




勝ち誇ったあの悪魔の顔が、弱気な私をあざ笑う。
いつも思いがけぬ所で、私の目の前に現れる。
でも彼女はそうしないと生きられない人種だ。
金と名声、そして色欲。
そういう世界の住人なのだ。
何故か私はかつて、そこへ引き込まれることを強いられた。
星にも明確に記されている、ただの業である。
信仰でも何でも無い、そこは狂気の世界であった。
よくある世界であった。
私はその世界では呼吸ができなかった。
する必要もなかった。
それは私が‘私’だからだ。
あと2つ。
虚しさを覚えても、泣きたくなっても、それもまた必然である。




去年の今日、ある人が女の子を産んだ。
その人は透明な涙を浮かべながら、愛をこめて彼女を見ていた。
私の知る世界とは対極にある、美しい世界だった。
そういう必然もあるのだ。




行き着くところまで行き、自分を壊さないといけない人。
あくまで意図的に壊しに行っている。
何度と無くガシャンと音を立てて壊れてた私を見て、きっと知ったはずだ。
その欠片を拾い集めて、再生することを。
だから壊れていい。
あなたに、そして多くの真心こもった方々に、私は拾い集めてもらった・・・。
壊れても取り返しはつくのだ。
孤独であっても、1人で生きていないということ。
だから人は行き着くところまで行っていい。
あの頃、そうさせてもらった。
思う存分、好きなだけ壊れた。
止められたとしても、私が壊れるのをやめられなかったであろうことを、誰より知っていた人。
壊れながら、私は不思議なほど安心していた。
否定せず壊れさせてくれた。
壊れていい。
壊していい。
音を立てて。




10枚目のタロット、スフィンクス
必然のタイミングで回りだす歯車の上で、異なるもの同士が向き合い、生まれるエネルギー。
苦悩も歓喜も必然ということだ。
無駄は一切無い。