DON’T WALK AWAY (加筆あり)

一時期、どうしても聴けなかった曲がある。
♪DON’T WALK AWAY 
マイケル・ジャクソンの2001年のアルバム、INVINCIBLE に収録されている作品である。
聴けなかった当時、CDラックの奥底に仕舞いこんでいた。

INVINCIBLE

INVINCIBLE



その当時、この作品と同様の体感をしていて、MJのリアル以外の何ものでも無い歌声と美しいメロディ、そしてシンプルな言葉(歌詞)に、突き刺されるような思いになると判っていたから。
他界されてからもうじき2ヶ月・・・ほぼ毎日聴いている曲の1つ。
MJの愛の美学がそのまま体現されている作品だと感じています。
そして、そこにも物凄く共感してしまう。



♪Just to try and see you smile one more time  とか
♪How am I to understand when there's nothing left to do but walk away とか
♪If you go, I won't forget you girl Can't you see that you will always be とか・・・
(以上、歌詞より引用です)



占いセッションの仕事でも、恋愛のご相談依頼を戴く割合は全体の8割。
その中でも「別れても忘れられない。再度お付き合いしたい」というようなケースは半分くらいだと思う。
何とかして恋人の存在を自分の元に取り戻したいと。



セッション中は役割以上でも以下でもなく、私情とは完全にラインを引きながら理論的に解析して、問題(相談内容)に対しての対応策を探る。
でも一度セッションが終わると、時々思うこと。
忘れられない。取り戻したい。
そうして追いすがることができるパワーが、ちょっと羨ましいなと感じたりもする。



恋とは良くも悪くも変化して行く感情で、愛は揺るがないもの。
私はそう認識している。



歌詞の通り、感情はあっても【離れるべき(もしくは放すべき)と理解し受け止める】こと。
でも、もちろん理解し納得して受け止めても、人間である以上は感情は差こそあれ残るもので・・・



関係性(家族、友人、恋愛)や性別に関係なく、全ての出逢いと別れは必然だから。
理解して事実を受け止めたら、追いすがることはできない。
必然に対して、不自然となるような行動がどれだけ見苦しいか、ただ認識するのが理想。
あくまでも私の場合は、ですが^^;
大昔、あまりに幼かった私は「やだやだ!皆で一緒に居たいよ!」と醜く泣きじゃくり悪あがきし、必然に対抗しようとした結果、真の地獄を見た。
だからこそ、最低限の認識が出来るようにはなった。
感情はあっても、それは己の中に留めれば済む話だしね。



追いすがろうが、放そうが、離れようが、必然が整う時に何らかのつながりができるものだ。
全ては必然なのだから。
つながりが2度とできないという必然ももちろんあるけれど、それもまた正しいこと。



物理的に近くに居たとしても、澱んだ顔しか見れない日常とか・・・
いがみあったりとか・・・
濁った音しか聴こえて来ない状況とか・・・
そういう現実の方がつらい。



そして何より、人の数だけ必然の出来事とタイミングも違う。
だから、追いすがるよりも、自分が離れたり放すことを遂行することで、相手が自身の必然をまっとうできるならば。
または笑顔や健康を手にできるならば。
感情は己の中に留めつつ、別れという必然を遂行する。
共に居ても、心や本質で向き合ったり手を取り合ったりできないならば、それは孤独という現実。
お互いにね。



それでも時には泣いてみてもいいと思う。
私に泣くこと(感情)を許してくれる作品、それがMJの ♪DON’T WALK AWAY です^^