朝晩はだいぶ涼しくなりましたね。
皆様こんばんは、のわです。



ここ数ヶ月の間、以前にも増して‘命’について考えさせられる機会が増えています。



マイケル・ジャクソンが亡くなって、昨日2回目の月命日を過ぎて、ニュースでは担当医の薬物投与に問題があったのではないかと報道されていました。
MJが他界されたことはとっても悲しい。
でもそれ以上に、虐待サバイバーとして立ち上がり自身の現実と闘い抜いたという心の強さに、そのお手本に尊敬以外の何ものでもない思いがある。
けれど新たな報道にあるような鎮痛剤がなくては、日常を過ごせないほど苦しんでいたのかと考えたら、いたたまれない気持ちになりました。
きっと世界中に同じように感じたリスナーの方々が多く居るのでは・・・と思っています。



様々な病や怪我で苦しんで、またそうして己に課せられた現実と闘っている人も世界中に多く居るわけで・・・
在ること有るものを当然と驕っていたら、やはり必然的なタイミングで返ってくる。



命に関わる事は基本的には占わないけれど、感情的にどうしようもなくなる時、自分を理詰めで納得させるために解析してしまうことがあります。
生きたいと思う人や、生きるべき役目がある人が他界するような流れになってしまうことの悔しさ。
でも、残されて今ここに在る事実を受け止めて、地に足をつけなければならない。



私個人は、生きることそのものに昔から執着がありません。
(※死にたいという意味ではないです)
生きて在ることが不思議でならないという理由で。



私はこれから、別れと真新しい出会いを経験するかもしれない。
どんな状況にあっても、揺らがぬようシッカリ受け止める術を探したい。



日本国内でも違法薬物の事件が連日報道されていますが・・・
己の弱さに負けて、流され支配され依存することで、地獄をみるのは結局は子供。
当事者は成人であれば自己責任だと思うけど。
子供を巻き込んでは絶対にいけないんだ。