声をあげたのに

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100127-00000782-yom-soci

まただ。
昨年の佐光聖香ちゃんの虐待死事件と同じ。
実母と継父が狂気を振りかざし、小さな子を死にまで至らしめる。



声をあげたのに。周囲も1度は気付いたはずなのに。
どうして「二度と殴らない」そんな台詞を鵜呑みにするのか?
口では何とでも言える。文字でも何とでも書ける。
上っ面の言葉に惑わされると、こうして物事の本質を見失うのだ。



海渡くんが叫べたということは、泣けたということは、まだ自身のおかれている地獄の土壌の上で闘おうとする気力が残っていたということ。
人は極限にまで追い詰められると、その気力や意志を失くし、助けを呼ぶことはもちろん泣き声すらあげられなくなる。
恐怖で足が竦み、全身が強張り、動けなくなるからだ。
その真っ黒な土壌で全ての現実が受け止められ、ある意味の融合を体感して【これはごく当たり前の日常なのだ】と、むごい事実に心を侵食されてしまうからだ。



あとどれだけの子供たちが犠牲になればいいのか?
「二度と殴らない」
こんな真実味のかけらも無い口約束に惑わされて、あとどれだけの事実が見過ごされていくのか?
「ギャー」という叫び声。これが事実。
声をあげているのに!



決して終わらぬ怒りと絶望。
こんな親はあくまでも氷山の一角に過ぎない。
反吐が出る。