孤独 (追記、編集あり)

あと、どれくらい生きなくてはいけないのだろう。
もうじき彼との対面から2ヶ月が経とうとしている今日・・・
ここ最近いつもそんなことを考えている。
言うまでも無いが、同情を買おうという気はサラサラ無い。
そんなものは毒にも薬にもならない。
無用だ。



自殺願望があるわけではない。
既に2年以上も更新せず非公開にしている‘裏ノワ’を全部読んでいただいていた方々には、少し判っていただけるかと思う。
少なくとも私の場合、自殺願望とは常にあるものではなく、発作的に沸き起こるものだと。



そして過去2回ほど助けられてしまった。
物理的環境と、通りすがりの人に。
1回目は、当時ただ見守るべきことを遂行できない自分の小ささに失望して。
そんな人間=私は要らないと思った。
2回目は、あの魔物が勝ち誇ったように微笑みかけた時だ。
彼女ら(悪魔)は自称・神様との伝達役的な立場(宗教とは名ばかりの狂団の発起人)。
神様が居ると大金を巻き上げ、信者を依存させ、完全に支配している。
相変わらずの彼女の顔を見た時、その言動を目にした時、その神様とやらを見に行ってやろうと思った。
そんなものは存在しないのに(少なくとも彼女らが祀り上げているものは居ない)。
あまりにも下らない、発作的な私的感情である。
こういう愚かな感情で飛び降りるのだけは避けたい。
もっと全うな理由であるべきだ。



理想論だが、時に完全な味方(信頼できる存在)が在ればいいなと夢みることがある。
でも、そんな存在は居ない。
当たり前だが孤独だ。
仮にそう言って近づいて来たとしても、二枚舌だったり利害があったり裏があるものだ。



束でかかって来られたら、結局は数は力となってしまう。
少数派(孤独者側)の声など、無駄な声となり流される。
訴えかけようとしても、「それは関係ない」こととされてしまう。
理解はされない。分かち合うこともない。
今に始まったことではなく、きっと最初からそうだったのだ。
そして脱力して行く。
力に従え、とね・・・
そういう必然なのだ。



改めて感じた。
血がつながっていようといまいと、【自分】以外の人は全て【他人】だ。
解放し、見守るということは、真の愛なくしては出来ない。
大切だからこそ、その場を離れなくてはならないこともある。
手を放さねばならぬこともある。
でも、それを「死んだことにする」のは、1つの無理解ではないのか・・・



生まれ変わりだ何だという考え方は嫌いだ。
【現実に目の前にある存在】をないがしろにし、地に足がつかない発想だからだ。
在るがままの自然体に目を背け、あえてフィルターをかけようとする。
そんな必要はない。
・・・全くの余談だが、「私は●●の生まれ変わり」と自称する占い師や霊能者なども居るが、身の程を知れと言いたい。
その●●に失礼だ。



自分が苦痛と感じたのと同様のことを、してしまうような人間には成りたくない、将来。
いや、成らない。
そう決める。
人は・・・究極の選択を迫られた時や、生死の場面に置かれた時もしくは居合わせた時ほど、根底の本質が現れる。



その時に必然的に与えられた自分の【役割】をただ【こなして】生きてきた。
【今、与えられた】役割には、これ以上ない【感謝をしながら】生きている。



人は「信頼したい」「解って、分かって欲しい」という期待がある時は全力で泣くものだ。
彼がパワフルに泣く度に、私は何とか完全に応えたいと思う。
可能な限り、そういう人で在りたい。成りたい。
逆に泣かなくなる時・・・
それは信頼も期待もやめる時だ。
つまり諦めること。



私が朽ち果てるのが先か、彼が巣立つのが先か・・・
いつまで共に過ごせるのか・・・
イムリミットはいつなのか・・・
近いのか遠いのか・・・
無駄に悪運が強く、生命線だけは長い私(手相は専門ではないが)。
本当にどれくらい生きなくてはいけないのだろう。
できれば先に朽ち果てたい。
いずれにしても限られた時間だろう。
きっと力に従わねばならない。
どんな悪あがきをしても、結局はそうなる。
いつものことだ。



森へ行きたい。
風に揺れる木々と、あの空気。
私の森には夜明けは来ない。
ただ、ノワールドのひび割れた黒い土壌の上に立ち、見ている。
夕闇の森に朝日が射し込み、透明な音が鳴るのを。