一周忌(追記あり)

マイケル・ジャクソンが他界されて、今日で丸一年…



急遽、森へ行けることに。



真っさらになれる場所で祈ろう。



…後日、追記します…



・・・下記、追記・・・



彼と戦友と森へ出掛けた日は、MJの命日であり、満月の前日だった。
4ヶ月ぶりに包まれる空気。
あの薫り。
深い木々の薫りが全身に浸透してくる。
ただ落ち着ける時間。



彼が私の中に在った頃も毎月欠かさなかった森林浴。
この日、彼自身は腕の中でスヤスヤ寝息を立てていた。
久しぶりに、いや、初めて直に触れる森の空気に、驚くほど馴染んでいたようだ。



この森にはとても好きな木が在る。
どれだけの時間をその場所で佇んでいるのか・・・
許す限り、その木を見ていたい。
近くで風の音を聴いていたい。
ただ私を静かに受け止めてくれる。
そんな気がしてくるのだ。

          

自然崇拝。
そんな祈りであるならば、私も進んで祈りたい。
祈るというよりは、敬意を払う思いに近いけれど・・・



帰りの車に乗り、ラジオから1番に流れて来たのは
MJの ♪EARTH SONG だった。
やはり必然を感じさせられるタイミングで。
往年の作品の中でも特に好きな曲。



MJという人は、児童虐待経験者=サバイバーであり、同時にその傷みから力強く立ち上がった人である。
芸術家としての素晴らしさは、世界中の誰もが知っていること。
純粋にリスナーとして作品を聴き、楽しむ以上に、私はMJのサバイバーとしての在り方が本当に本当に凄いと思っている。
金字塔と言っても過言では無い。



激しい傷みとむごい現実。
そこからの立ち上がり方、その信念は、色々なインタビューで見聞きしたけれど、あんなに心の強い人は居ないと思う。
虐待被害経験者=サバイバーが‘親’になるということは並大抵ではない。
言うまでも無く直接的な接点はもちろん無いけれど、とことん共感するのだ。
サバイバーとしてのMJの在り方に。
共感し、心底これ以上無い程の敬意を感じ続けている。
それは彼と出会ってから、より深まる思いだ。



サバイバーとしての在り方。
MJのたたずまいと振る舞いが、残されている自伝やインタビュー、そして作品を通して、とても近い距離で教えてくれる。
関係なくない。