岐路

気付けば既に1ヶ月以上も更新をしていなかった・・・
毎日が目まぐるしくあっと言う間に過ぎてゆく。
今日は書いておきたい。
そんな出来事や思うことがあっても、彼と向き合う時間と仕事で手いっぱいで・・・
とてもとても手が回らない。
かろうじてメモと仕事用のブログを更新する程度。
   
      

今日は満4ヶ月健診へ。
約3400gで登場した彼は、8700gとなり、月齢に対して少々大きめ。
寝返りも左右できるようになり、目が離せない。
おもちゃ遊びも上手くできるようになってきたけれど、その最中にタオルに触れると心はタオルに奪われるらしい。
写真で観ていただいての通り、もくもくとタオルで遊んでいる。
ふわふわが好きなのかな。
完全に癖になってしまった左耳の不調の影響もあってか、自分の声を上手く操作できない私の歌を聴いても、にこにこキャッキャと笑ってくれる。
正に満面の笑みで・・・本当に優しい子。
そうした優しい性格のせいなのか、お出掛けすると度々彼は「大きな女の子ね」等と通りすがりの人々に声をかけられる。
確かにとっても大きいけれど、男の子なんです。




私が彼を‘彼’とノワールドで表すのは、言うまでもなく理由がある。
もちろん恋人的な感覚で記載しているわけではない。
‘うちの子’‘お腹を痛めた’‘息子’等と表すと、私自身が思い上がるような気がして怖いからだ。
上記の3つの表し方は紛れもない事実ではあるが、こんなのは後付けであり、彼が【ここに登場してくれた必然のプロセス】でしかない。
母子という関係性が、親子である事実が、時として因縁へと傾倒することを誰よりも知っている。
親が子に依存し、支配〜侵略に至る凄惨さ。
その根源には【親という肩書きを手にした人間の思い上がりが少なからず潜んでいる】。
そうした醜悪さに溺れたくない。




とは言いつつ、おそらく傍目から観れば思いっきり親バカ全快だと思わなくも無い。
先日、彼の秋服を買いに戦友と3人で出掛けた際、改めて思った。
‘彼の親’という役割を贈られた私たちは、可愛い服やおもちゃを見ると、度々お財布がゆるゆるになってしまう。




でも大切だからこそ、保たなくてはならない距離があり、役割があるのだ。
注ぐべきもの。注いではいけないもの。
その判断を誤ってはならない。




岐路。
誰もが人生において度々立たされる。
私にとっての岐路は・・・
まず現代に生まれてしまったこと。
敢えて何故か支配者たちの下に居てしまったこと。
彼らが許容を超える狂気を見せたこと。
敬愛する芸術家と直に出逢えたこと。
ノワールド ができたこと。
それを失ったこと。
戦友と肩を組んだこと。
彼が登場してくれたこと。
次の岐路に当たるのは何処だろう。
いつなのだろう・・・