「必要だと来る」

必要でなければ来ない。
実にシンプルな現実である。
必要な時に必要なものを必要な分だけ。
それは生きる上で重要なことだと思う。
機が熟さぬ時に抗おうとも、それは現実化しない。
・・・ということだ。





「必要だと来るんだよ!」
これは友人の受け売りであるが、全く正しい言葉。
人は幾度と無く岐路に立つことがあるが、それは全て己が選択した方向であり、また歩くべき(経験すべき)必然なのだと思う。
そして、その経験は持ち堪える才を持たない人には来ない。
やはり【必要だからこそ】なのだ。





あれから一週間。
言うまでもなく私も今日の岐路に立ち、与えられた環境を遂行している。
でも結論が出たことで僅かにラクになった。
何と言うか、自分を少し受容できるようになったのだ。
己を傷め付け愚行を繰り返した日々。
あまりにも表面に囚われ惑わされ、深部の真実を見出せなかったこと。
これだけの時が流れ、それらを理解し受容できるようになった。





私は1人の人であり、スフィンクスくんの母親である。
その人間にも土壌があるということだ。
それ以上でもそれ以下でもない・・・
役割を果たす。誠実に。
何事においても、あの子に恥じるような母親には成ってはいけない。





それでも1日の中でほんの僅かな時間、私自身に許していること。
幻想だったかもしれない事実と向き合い、ただそこに感謝することだ。
唯一くれた褒め言葉に籠められた評価(?)を保つ為、小さな習慣を続ける。
そんな小さなことで、僅かでも女性性を楽しめるならばそれ位いいじゃないか・・・
等と自分を許したりする。
何故ならば常に今この瞬間が現実であり、そこで戦い抜かねばならないからだ。
いつ終わるか判らぬ戦いを勝ち抜く為に、小さな習慣で多くの意味で持ち堪えられる。
例え幻想からの幻聴であっても、現実結果に通じることならば、一先ずは楽しむ。
それでいいじゃないか。




物理的には壊れ、失ったものばかりだが・・・
事実は深部で生き続ける。
地獄のような事実も、限りなく歓喜に近い事実も共に。
それでいいじゃないか。