勝利

終わった。
勝ち抜いたのだ。
あの失望の夜から約1年7ヶ月、私はスフィンクスくんを守り続ける
権利と幸せにする義務を勝ち得た。
これからは大切な息子と2人で生きて行く。





母子家庭。
世間から見ればそうなった。
でも、大切な子を怯えさせ危険に曝しかねない要素を持つ父親ならば
共に生きるべきではない。
この1つの勝利の形は、1年7ヶ月前に志した形だ。
血縁の死という窮地に立たされたのを言い訳に、記憶が飛ぶまで泥酔し
1歳にもならない我が子に倒れかかったり、物を投げ付け頓珍漢な暴言を
吐きながら蔑んだ目で見下すような危険な父親は要らない。
そのように(酒を煽る)仕向けたり、勝手に「○○の生まれ変わりだから」
「つらいだけだと思うから私が育てる」「あなたが居なくなる時の為に手なずける」
等と狂ったことを言うような親族も、言うまでもなく要らない。
そこまで言うなら酒を止めてから言えと・・・。
その時々の都合や思い込みや、上辺だけの可愛がりなど、子供という存在への
愛ではなく、無意識の子への支配もしくは依存なだけだ。
そんな不安定な危険要素と常に隣り合わせの愛情もどきでは、子供は幸せに
成れない。
ただの1度も自ら飲酒を控えることもなく、今日に至った。
常に豹変のスイッチに怯えながら。
泥酔さえしなければ善意的な人だからこそ、泥酔そして親族が絡む時の豹変ぶりは
ある意味で目を見張るものだった。
その人が応じてくれた今日の結論は、真心だと認識しよう。
私が感謝せねばならぬことだからだ。





私は‘私の侵略者の妻’のように、男に共依存するタイプの人間ではないし、
ある種の私利私欲や保身の為に男にしがみつくような感性でもない。
寧ろそうした在り方を嫌悪していると言える。
そうだ。
私は絶対に絶対に彼女のようには成りたくなかった。
己の選択ミスを小さな子供のせいにし、挙句に狂気に加担するような人間にだけは
私は成ってはいけないのだ。





この1年7ヶ月の間、スフィンクスくんを守る為の人生を志しながら
実際に私の方がスフィンクスくんに守られていたのだと思う。
にも関わらずイヤイヤ期(?)に突入した子に日々翻弄されることも多く・・・
受け皿が小さすぎる私だ。
人として母として、もっともっともっともっともっと強く、受け皿も深めねば成らない。





もし・・・等という話は戯言に過ぎない。
が、それでも・・・もし、‘あの頃の友人’へこの勝利を伝える事ができたら
きっと祝福してくれると思う。
あのイントロと共に無言のエールをくれるであろう。





勝ち抜けたら着けようと決めていた指輪をはめた。
スフィンクスくんのイニシャルの指輪だ。
志を我が子の前で貫きつづけるように願いをこめて、これからは自分の器の
小ささを克服しながら現実を戦い続けるために。





こんな私をわざわざ選んで降りて来てくれた子に恥じぬ生き方をする。
そう在る。