思いがけず

というタイトルで、本当は書き途中だった昨日。
そのタイトルだけは憶えているのに書きたかった内容を忘れてしまった。




昨日は初恋(14歳)の人の誕生日だった。
あの頃までは今思えば…少なくとも私にとっては惨劇だったが
今はあの曲が作られた事実そしてスフィンクスくんとの出会いによって、
必要な必然だったのだと捉えられるようになっている。




つい先日、約10年ぶりの再会をした人がいる。
彼女は顔(肌・表情・メイク)の専門家だ。
その彼女に『お腹抱えて笑ってないでしょ。』と指摘を受けた。
考えたこともなかった。
スフィンクスくんと共に在るようになってから、日々彼のちょっとしたことで
寧ろ笑っているつもりだった。
が、彼女に言わせれば
『笑う時に使う顔の筋肉が動いていない』『顔のお肉が硬い』のだそうだ。




確かに…特に頬が硬い気はしていた。
やはり客観的尚且つ専門的視点で見極められることは大切だ。




その翌日、ここ3ヶ月ほど母子(育児)ケア相談でお世話になっている臨床心理士さんに
私たち母子の近況報告(問題点と取り組み解析していく為の報告)をすると
思いがけず『あなたの接しかたを聞いていると、気持ちが温かくなる』と言われた。
そもそも母子ケア相談を定期依頼するようになったのは、私があの侵略者夫妻の
ような真似を無意識にしないように、第三者から監視して貰う為である。
良かれ悪しかれスフィンクスくんにしていることが、虐待に通じていないかどうか
調査して貰う為である。




それがまさか、こんな言葉をかけられるとは想像していなかったので当然ながら
驚愕したのである。




イヤイヤ期の彼にイライラしてしまうことが度々ある。
怒ることも。
泣き喚かれると、侵略者夫妻の狂気のやり合いを聞かされていた日々の体感が蘇り
動悸がすることすらある。
スフィンクスくんの声と、ヒステリックなあの女の声は似ても似つかないのに、
喚かれるという行為が今だ私にとっては鍛練のようなのだ。




だが、臨床心理士さんに言わせると『母子の信頼関係は成立している』
『母親からきちんと愛情を受けているから、ちゃんと巣立てる子』
『両親が揃っていても、出来ていない家庭も増えている』とのこと。




もう少し【母としての自分】を信頼してみようか。
そうすると頬のお肉も柔らかく、お腹抱えて笑えるように成るかもしれない。